都と河内を繋ぐ東西道の結界 當麻寺

當麻寺 (禅林寺)

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當麻寺 東門

■ 住所 奈良県葛城市當麻1263
■ 宗派 真言・浄土の二宗(奥の院浄土宗、中の坊は真言宗)
■ 本尊 當麻曼荼羅(たいままんだら)/国宝
■ 創建 612年麻呂子皇子
■ 電話 0745‐48‐2008
■ 拝観時間 9:00~17:00
■ 駐車場 有(有料)東大門前他
■ 拝観料 伽藍拝観 大学生・大人(中学生以上)500円、、小学生250円
〈拝観内容〉本堂・金堂・講堂
■ 近鉄南大阪線「当麻寺」駅から徒歩約15分。

大和平野(盆地)、それも明日香・藤原京から見て西にそびえる
二上山の麓に當麻寺はあります。
創建は推古天皇20年(612年)といいますから、
時は今から約1400年ほど前に遡ります・・・。

用明天皇第三皇子麻呂子親王が兄である聖徳太子の教えによって、
創建されました。 当初「萬法蔵院禅林寺」と称しましたが、親王の
孫の代に「當麻氏」と称した所から、後世、當麻寺と改められました。

中将姫ゆかりの蓮糸大曼荼羅や、天平時代の東塔・西塔、白鳳時代の
梵鐘、本堂である曼陀羅堂、金堂・講堂など見どころ沢山の古寺です。

春分・秋分の日は、二つの山の間に夕日が沈む素晴らしい景色を
見ることができるこの二上山。

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二上山 日没すぐ

当時の都の人々には、日の昇る所(東)に三輪山、そして西である
二上山は日の沈む所という地形にあります。

二上山を越えると現大阪府である河内平野があり、当時この地には
たくさんの天皇陵がつくられました。

この当麻にある竹ノ内峠は、大陸の文化が入ってくる場所でもあり、
天皇の墳墓へと繋がる道の関所や門としての場所に當麻寺はあります。

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当麻寺 仁王門(東門)

仁王門は、正式には東大門です。
私は地形を考えると、東へ登ることが当然で、その正面にあるこの門が
この寺の正面玄関である門だと思っていました。

ですからこの仁王門から入った経路である講堂と金堂、鐘楼と三重塔の
伽藍配置に形式があることに気付いていませんでした。

本堂等の拝観をさせて頂いた際、ガイドさんからの一言で私の疑問は
氷解したのです。

理解し易いように當麻寺のHPより伽藍配置の絵図をお借りしました。
勝手にお借りしてすみません(~~;

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当麻寺 map

この伽藍配置をよく見ると、東西の塔に金堂、その奥に講堂という
薬師寺と同じ伽藍配置です。

ガイドさんは、
「今はありませんが金堂の南側に南大門があったそうです。」
と言われました。

まさにその通り、東西に塔、正面に金堂、その奥に講堂という伽藍が
そこにありました。

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金堂南にある南門跡

創建当時は、この伽藍の中心である金堂の弥勒仏が御本尊でした。
宗派は三論宗。

その後、弘法大師(空海)が立ち寄り、この寺に伝わる(當麻曼陀羅)を
拝し、のち真言宗となり、鎌倉期以降、その當麻曼荼羅ゆかりの
中将姫伝説が阿弥陀信仰と結びつき、浄土宗が入る。

現在當麻寺は、真言宗と浄土宗が共存している珍しいお寺なのです。
(奥の院浄土宗、中の坊は真言宗)

創建時は東塔・西塔(共に国宝/天平時代)、金堂(重文/鎌倉時代)、
講堂(重文/鎌倉時代)、梵鐘(国宝/白鳳時代)で構成されており、
当時千手堂として脇にあったお堂が、後に本堂(曼陀羅堂/国宝)
(ただし内陣は天平時代)となりました。

当麻寺の本尊は(當麻曼荼羅)という織物で出来た絵です。
ただし、その図柄は西方浄土を現しています。

一般に御本尊は仏像が考えられますが、『絵』は當麻寺だけだとの
ことです。

この當麻曼荼羅は4Mx4M程もある大きさで、本堂の中央にある厨子に
金網に守られています。 実際、原本は大変痛みがひどく、現物は
後に写本された文亀曼荼羅と呼ばれているものです。

500年近いく昔のものですが、近くで見ると大変色鮮やかで、
阿弥陀如来とともに西方浄土が広がっています。
惜しむらくは金網がなければもう少し良く分かるのですが・・・

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中将姫

中将姫伝説についても簡単な説明が要りそうです。

伝説には、當麻曼荼羅は763年に中将姫の願いにより、観音菩薩が
蓮の糸で一夜にして織り上げたものだと言われています。

中将姫は横佩大納言・藤原豊成が観音菩薩に授かった娘といわれて
おり、幼少より才色秀で、中将の位を授かるほど。十六歳に出家し
當麻寺に入門。
阿弥陀如来と菩薩の力を借りて一夜にて當麻曼荼羅を織り上げた。
わずか29歳で亡くなった(浄土へ旅立った)という。

この中将姫の像は本堂當麻曼荼羅の右手奥に安置されています。

毎年5月14日には「二十五菩薩来迎会」を行います。
一般に練供養と呼ばれ、極楽堂(本堂)から娑婆堂まで板橋で
繋がれその上を二十五菩薩に仮装した人が中将姫の像を極楽堂へ
導く儀式。

二上山に沈む夕日に照らされた二十五菩薩が、見る人々を極楽浄土
へ導いてくれる・・・そんな光景なのでしょう。

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当麻寺

この写真は嫁の画像を拝借
今年、嫁がこの練供養を鑑賞。
金色に光る二十五菩薩が妙にユーモラスで、動く姿が不思議に
感じられたとか。

さて、建築について。

まず古い伽藍に始まる金堂(重文/鎌倉時代)から。

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当麻寺 金堂

當麻寺の最も中心のお堂です。
当初の金堂は平重衡の南都焼討ち(1180)の際に破壊されており、
1184年に再建。1326年に大規模な修理が行われています。
桁行五間、梁間四間の入母屋造り。

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当麻寺 金堂

南側正面から

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当麻寺 金堂

入母屋部
南面に石灯籠(重文 白鳳時代)があります。
石灯籠は二上山の凝灰岩で作られた日本最古の石灯籠だとか。

内部には御本尊である弥勒仏や、四天王などの白鳳時代の仏像が
安置されています。
弥勒仏は白鳳時代の像で、塑像ですが土の上に布を張り、漆を施し、
金箔を押しているので一見塑像には見えません。
日本最古の塑像(国宝)です。

四方を守護する四天王は、同じく白鳳時代の仏像。
現存最古の乾漆(かんしつ)像で、珍しくあごひげがあります。
モンゴル又は中国系のファッションで動きの少ないものの、好い顔を
してられます。 ファンの多いのも頷けますね。
唯一木造で加えられた多聞天(鎌倉時代)像も含めて全て重文指定。

次に講堂(重文/鎌倉時代)。

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当麻寺 講堂

講堂は金堂に次いで白鳳時代に創建されましたが、平安末期に焼失。
1303年に再建されています。
桁行七間、梁間四間の寄棟造り。

阿弥陀如来像(藤原時代/2.27m/重文))
檜材寄木造。漆泊仕上げの阿弥陀如来像で、講堂焼失後、すぐに制作
された像だとか。

東門から入ると、右手に講堂、左手に金堂、中央に本堂と言う配置になります。

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当麻寺 建物配置

本堂(阿弥陀堂/天平・藤原時代/国宝)

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当麻寺 本堂

正面
創建当初、本堂の前身である曼荼羅堂は千手堂という脇のお堂でしか
なかったのですが、曼荼羅信仰とともに本堂として礼拝されるように
なり、建物も拡張されました。
金堂や講堂が南面しているのに対し、曼荼羅堂は西方極楽浄土を意識
して、寺の西方に東面して建っています。

桁行き七間、梁間六間で、内部は内陣、外陣、外々陣に分けられます。
内陣は天平様式。桁行七間、梁間四間で、この部分が当初の千手堂に
なります。

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当麻寺 本堂側面

建物に近づきますと、柱の脚部がよく分かります。

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當麻寺 本堂

1161年に外陣部分を拡張。旧堂を取り込む形で建てられました。
これは後に発展した拡張したお堂の最古の例。

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当麻寺 東塔

東塔(国宝/天平時代/24.39m)

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当麻寺 西塔

西塔(国宝/天平時代後期/25.21m)

東西ともに三重の塔で、東塔は天平時代、西塔は天平時代末期の建立。
こういった伽藍形式で、東西両塔が揃って現存するのは全国でこの當麻寺だけ。

東塔は初層のみを三間とし、二層・三層を二間とする構造。
相輪は八輪。水煙が魚骨形であるなど、他に類を見ない特徴が多く見られ
ます。 東塔内には、宇宙の根本仏である大日如来像が安置されています。

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東塔

西塔は各層とも三間。相輪は東塔と同じく八輪。
水煙は蔓唐草に未敷蓮華を火焔状に配値した華麗なものです。
西塔には當麻寺の両本尊、阿弥陀如来と弥勒菩薩像が祀られています。

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当麻寺 西塔

東西二塔は建築された時代が異なるとはいえ、かなり異なる特徴を持った
建築です。 その違いを実際に目の前で見て頂くと、その時代背景も見えて
来るのでしょうか。

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当麻寺 梵鐘

梵鐘(国宝/白鳳時代)
東大門を入ってすぐの梵鐘は銘はないが白鳳時代のもので、日本最古の
もの。

2008/2009 当麻寺にて